2010年11月09日

寺田屋事件に着目

寺田屋事件はお登勢が女将を務める
伏見の船宿寺田屋で起きた事件で
『薩摩藩尊皇派等の鎮撫事件』は
幕末の悲劇のひとつとして知られます。


龍馬がらみの事件はその4年後
起きた「寺田屋遭難」ともいわれる
事件の方となります。

犬猿の仲と言われた、薩摩藩と長州藩に
薩長同盟を結ばせる事に成功した龍馬は
長州藩の手槍の使い手、三吉慎蔵とともに
寺田屋に宿泊しておりました。


さすがに鈍い幕府方も龍馬の動きに気づき
伏見奉行の林肥後守忠交が捕り方を向かわせ
夜中に寺田屋の龍馬を襲います。


この時に有名なのが夜半に風呂に入っていた
お龍が裸で二階へ駆け上がり龍馬らに危険を知らせた
というエピソードです。


この事件の重要なところはこの時に初めて
幕府(伏見奉行)が龍馬を危険な人物と
認識したことなのです。


同様に京都守護職の松平容保配下である
新撰組や京都見廻組も龍馬をお尋ね者として
目をつけることになります。



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